SSブログ

大和郡山城 2022.10.8 [奈良県]

帰省途中の2022108日(土)、JR新大阪駅で途中下車して郡山城へ向かう。御堂筋線:新大阪1240→なんば1255、近鉄奈良線:大阪難波1304→大和西大寺1334、近鉄橿原線:大和西大寺1336→近鉄郡山1344到着
①近鉄橿原線電車の西側車窓から追手東隅櫓(右:1984年再建)、追手向櫓(左:1987年再建)を撮影。手前の堀は五軒屋敷堀。樹木が生い茂りすぎの感。
郡山城103近鉄橿原線より.jpg
近鉄郡山駅から北方向へ進み、大和郡山市役所南側の大手堀前に出る。
②柳門跡。大手堀の西端に大手門に相当する枡形虎口の柳門があった。櫓門東側の石垣が残存。
郡山城104柳門跡.jpg
柳門跡からさらに北に進み、五軒屋敷堀の南側の土橋跡を通って鉄門(くろがねもん)跡へ。
③鉄門跡。櫓門東側の石垣が残存。
郡山城108鉄門跡.jpg
鉄門跡から北の細長い回廊状の陣甫曲輪(西側が通路、東側は民家)を通って枡形虎口(次の久護門とセットで連続枡形虎口だった)の追手門へ。
④陣甫曲輪から追手門(1983年再建)・追手向櫓を撮影。追手門・追手向櫓・追手東隅櫓は発掘調査などに基づき木造で再建された。櫓外壁は下見板張としているが、1615年の大坂夏の陣の後に水野勝成によって再建された建物であれば白漆喰の塗籠の可能性が高いと思う(明治初期まで残存していたと思われるが古写真は見つかっていない)。
郡山城111追手門・追手門櫓.jpg
追手門を入り常盤曲輪へ。
⑤常盤曲輪から本丸(天守曲輪)・天守台の北東側を撮影。野面積みの石垣は豊臣秀長の城主時代に築かれたものと思われる。本丸石垣は草刈りされている(西側は作業中)。
郡山城116天守台.jpg
なお、現在、公園整備工事のため常盤曲輪から本丸西側の厩曲輪・緑曲輪へ進むことはできない。南側の毘沙門曲輪から極楽橋を渡り、本丸へ。
⑥極楽橋・白沢門跡。極楽橋は、篤志家から郡山城史跡・柳沢文庫保存会への寄附金を得て、発掘調査に基づき2021年に江戸中期以降の形態で推定復元された。
郡山城122白沢門跡.jpg
橋を渡り、本丸東虎口の白沢門跡から本丸へ入り北側の天守台へ。
⑦天守台北東側。
郡山城126天守台北東.jpg
現在の登り口(明治以降に造られたもの)は東側だが、発掘調査により、本来の入口は天守台南側の付櫓台南側にあり付櫓台南から天守台南へのルートであることが確認された(大和郡山市『郡山城天守台発掘調査現地説明会資料』2014年)。また、発掘調査により礎石・金箔瓦を確認し、豊臣政権期(秀長・秀保、増田長盛)に天守が築かれたと考えられている。なお、天守は、関ヶ原戦後に二条城に移築、さらにその後、淀城に移築されたとの説(愚子見記)がある。
⑧天守台から北東方向の眺望。中央付近が若草山。
郡山城128天守台より北東方向.jpg
⑨竹林門跡。本丸南虎口の竹林門跡から土橋(竹林橋)を渡り二の丸屋形の北側に出る。
郡山城141竹林門跡.jpg
西へ進み、松陰門跡へ。
⑩松陰門跡。櫓門北側の石垣が残存。
郡山城144松陰門跡.jpg
南に進み、永慶寺山門へ。
⑪永慶寺山門(市指定文化財)。永慶寺は1724年より城主となった柳沢家の菩提寺。南門を移築したと伝わる。
郡山城148永慶寺山門.jpg
戻って、鷺池の南側を東へ。
⑫鷺池と二の丸屋形跡。二の丸屋形(藩主の屋敷)跡には県立郡山高等学校の校舎が建っている。
郡山城150鷺堀.jpg
近鉄郡山駅14時41分発でJR新大阪駅に戻る。前掲『郡山城天守台発掘調査現地説明会資料』の地図を利用して今回の歩行ルート(オレンジ色)を表示。1時間コースです。なお、城跡は2022年に国史跡に指定された。
郡山城天守台2.jpg


 


 



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行