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松倉城(飛騨) 2024.4.1 [岐阜県]

高山市街地の南西方向にある戦国時代末期の石垣造りの山城、松倉城跡(標高856m)を41日早朝に訪れます。麓の飛騨の里(標高637m)までは高山濃飛バスセンターから9時にバスが出るのですが、それより早く駅前からタクシーで山頂近くの松倉シンボル広場(標高794m)まで行きます。運転手さんからは、クマはまだ出ないと思うが、クマ除けの鐘や木をたたきなさいとのアドバイスをいただきました(クマ除け鈴は持参)。松倉シンボル広場から東方向に5分ほど遊歩道を登って行き、堀切を過ぎるとその先に三の丸石垣が見えてきます。
三の丸南西隅石垣。上段の天端石は落とされているようですが良く残っています。巨石が使われていますが、この山から切り出された石材でしょうか。
松倉城104三の丸南西隅.jpg
三の丸埋門跡。発掘調査により、この三の丸北西側では石塁と巨石を用いた埋門の壊された跡(破城の痕跡)が見つかりました(ブルーシートで覆われています)。背後の石垣は本丸外曲輪西面石垣です。
松倉城108三の丸北西側.jpg
三の丸南西隅櫓台跡。最初に見た石垣の上にあります。
松倉城109三の丸西南隅櫓台.jpg
三の丸の南下の曲輪の虎口跡。発掘調査により、虎口が石材で埋められて塞がれた跡(破城の痕跡)が見つかりました。
松倉城114三の丸南石門跡.jpg
本丸へ登ります。
本丸外曲輪南東隅石垣。本丸の西面・南面直下の曲輪は本丸外曲輪と呼ばれており、石垣が良く残っています。
松倉城120本丸外曲輪南東隅.jpg
本丸登り口。本丸の東側が登り口で、右が本丸、左が本丸外曲輪です。
松倉城120本丸虎口.jpg
本丸虎口。巨石が使われています。本丸は内側も低い石塁で囲まれていますが、発掘調査では礎石は見つからなかったそうで天守のような建物はなかったようです。
松倉城123本丸虎口.jpg
本丸から北東方向の眺望。気温が高いためか北アルプスの山々ははっきりとは見えませんでした。
松倉城129北アルプス.jpg
本丸から下りて、東側の二の丸へ。
二の丸旗立岩。二の丸南東隅に旗立岩と呼ばれる飛び出た岩があります。二の丸からは礎石が見つかっているので建物があったようです。
松倉城141旗立岩.jpg
二の丸東面石垣。二の丸の東端は大手口とされています。この先を北に下って行くと飛騨の里に至るようです(現在は通行できないようです)。
松倉城139二の丸東面.jpg
来た道を引き返し、松倉シンボル広場からは遊歩道ルートを20分ほど歩き飛騨の里まで下山、バスで高山濃飛バスセンターまで戻ります。
[メモ]松倉城は、飛騨国を制覇しつつあった三木(みつき)自綱(姉小路頼綱)が1579年に築城、本能寺の変の後、反秀吉陣営に与したため、1585年に秀吉配下の金森長近に攻められて落城、その後しばらくして廃城になったようです。現在残る石垣の遺構は、金森氏が三木氏の城を石垣造りに改造したものではないかと考えられています。現在は岐阜県史跡ですが、2019年から国指定史跡を目指して発掘調査が行われています。



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