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新府城 2019.1.5 [山梨県]

 新府城は、1581年に武田勝頼が築城し12月24日に躑躅ヶ崎館から本拠を移したが、1582年3月3日、勝頼は織田軍侵攻を前に火を放ち退去し、短い歴史を閉じた(本能寺変後の徳川・北条の甲斐争奪戦で家康の本陣として再利用されたことはある)。新府城は、七里岩(八ヶ岳の山体崩壊にともなう岩屑流(がんせつりゅう)が釜無川などに浸食されたもの)とよばれる台地上の小山に立地しており、本丸、二の丸、西三の丸、東三の丸などが配置されている(防衛施設等は未完成だったとされる)。土の城なので、城めぐりに適したシーズンは、草の枯れる冬場である。

 2019年1月5日(土)、中央本線あずさ9号で甲府駅10時37分着、10時57分発の各駅停車に乗換えて11時14分新府駅着。無人駅である。西に向かって歩いて行き、駐車場を通り過ぎ県道を渡ると新府城北側にある東出構が見えてくる(11時30分頃)。

①新府城の北側には、堀・湿地があったが、2カ所の突出部があり、東出構、西出構と呼ばれている。県道側から東出構を撮影。出構の機能については諸説ある。

新府城004東出構.jpg

②さらに西に進み、西出構を通り過ぎ、乾(北西)門跡(搦手口ともいわれる)へ。枡形虎口となっている。土橋の手前から乾門跡を撮影。乾門跡を含む一帯は、堀に囲まれた角馬出状の郭(搦手の郭)となっている。

新府城019乾門.jpg

③釜無川の流れる西側を撮影。断崖が続いている。

新府城016釜無川を望む.jpg

④乾門跡から入り、搦手の郭、井戸跡と進み、坂を登って行くと二の丸、本丸に達する。本丸には、藤武神社がある。本丸を撮影。標高524m。

新府城027本丸.jpg

⑤本丸北側から八ヶ岳を撮影。南側の富士山は雲に隠れてとらえられず。

新府城029本丸から八ヶ岳方向.jpg

⑥なお、藤武神社への石段が東側にある。ここは通らず、南方向に下る。

新府城030本丸への東側石段.jpg

⑦本丸から南の西三の丸方向へ下って行き、大手口を目指す。大手口は枡形虎口の前面に丸馬出がある構造となっている。内側から枡形虎口を撮影。

新府城034大手口.JPG

⑧枡形虎口の土塁上から丸馬出を撮影。その手前には三日月堀がある。

新府城036大手丸馬出.jpg

大手口から戻り、東側を歩いて行き(帯郭)、東出構から退城(12時50分頃)し、新府駅13時29分発、甲府特急乗換えで帰路についた。城内の各見所に説明板(本記事に活用させていただいた)が設置されており散策するのに分かりやすい。なお、続100名城スタンプは、韮崎市民俗資料館(韮崎駅下車30分程度)にあるが、時間の都合で今回は見送った。


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