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二条城 2017.8.12 [京都府]

二条城を訪れたのは3年前の真夏、2017年8月12日(土)のこと。二条城は二の丸御殿(国宝6棟)・二の丸庭園(特別名勝)が有名だが、櫓2棟、土蔵3棟、門9棟など(重要文化財)も現存している。1603年に徳川家康が築城し、1626年に3代将軍家光が後水尾天皇行幸のため西に拡張し大改造したものが現在残っている遺構である。京都駅からは地下鉄(烏丸線→烏丸御池乗換→東西線)で二条城前下車、まず東南隅櫓の前へ。

①二の丸東南隅櫓。東側の土塀は東大手門へ続いている。

二条城103東南隅櫓.jpg

②東大手門。行幸時は1層に改造されたが、1662年に櫓門に戻された。20142016年度に修理工事が行われ見栄えが良くなった。入城券は東大手門前の券売所で購入(2019年度から二の丸御殿は別料金となる)。

二条城110東大手門.jpg

③二の丸御殿唐門。20112013年度に修理工事が行われ装飾が輝いている。二の丸御殿へは車寄から入り、遠侍→式台→大広間→蘇鉄の間→黒書院→白書院と見て行く。なお、御殿内の障壁画は模写されたもので、原画は展示収蔵館に収蔵され、適時、展示されている。

二条城114唐門.jpg

二の丸御殿を出て二の丸庭園を通り、本丸東側虎口の本丸櫓門・東橋前へ。

④本丸櫓門と東橋。行幸時には二の丸御殿と本丸御殿が二階廊下で連結され地面に下りることなく移動できるようになっていた。20222025年度修理計画では解体部材が保存されている溜蔵・二階橋廊下(古写真を見ると二の丸側だけ)が復原される予定。

二条城130本丸櫓門.jpg

⑤内堀に囲まれた本丸へ入り南西隅の天守台から本丸御殿を撮影。現在残る本丸御殿は明治になって桂宮家の建物を移築したもの。20172021年度の計画で修理工事中。なお、天守建物は家光の大改造時に徳川伏見城天守を移築したが、1750年に落雷で焼失。

二条城138本丸内.jpg

⑥土蔵(北)。本丸西側虎口から西橋を渡り二の丸西側へ出ると、土蔵(米蔵)が南北に2棟残っている。更に西に進むと二の丸西門の内枡形石垣があるが立入禁止。

二条城157土蔵(北).jpg

⑦南中仕切門(東側)。土蔵(南)から東に進むと二の丸南側を東西に仕切る南中仕切門がある(家康創建時の二条城の西端にあたる)。喰違石塁の屈折する所を空けた埋門形式。なお、二の丸北側にも同形式の北中仕切門がある。

二条城153南中仕切門.jpg

⑧桃山門(北側)。南中仕切門を東へ進み内堀にそって北へ向かうと桃山門へ。長屋門形式の優雅なたたずまいは行幸時、中宮御殿と接続し、また、女院御殿の入口であったからとされる。

二条城127桃山門.jpg

⑨鳴子門(南側)。内堀東側にそって北に進むと薬医門形式の鳴子門へ。

二条城123鳴子門.jpg

⑩北大手門(城内側)。鳴子門の北側の清流園で休憩後、東に進み北大手門へ。現在、一般入城者は通行禁止。北大手門を出た北側には京都所司代屋敷があった。なお、家康創建時の天守(郡山城から移築、後、淀城へ移築)は北大手門の西側(清流園のあたり)にあったようだ。

二条城162北大手門城内側.jpg

北大手門を見た後、二の丸御殿の北東にある土蔵(長屋門付き)を見に行くべきだったが、見逃してしまった。展示収蔵庫に立ち寄った後、東大手門から出て、反時計回りに二の丸を囲う外堀にそって歩く。

⑪二の丸西門。石垣の間を空けた埋門、現在は木橋がない。

二条城172二の丸西門.jpg

⑫二の丸西南隅櫓。西側の向唐破風が特徴、東南隅櫓より規模は小さい。

二条城174西南隅櫓.jpg

南東隅櫓まで戻って帰路につく。暑さに負けず良く歩いたものだ。

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