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津山城 2021.10.31 [岡山県]

岡山に帰省中、14年ぶりに津山城を訪れたのは、20211031日(日)のこと。JR津山線の快速(急行は廃止されていた)で岡山1110分発→津山1217分着、ホルモンうどんを食べて、吉井川に架かる今津屋橋へ向かう。
①吉井川越しに津山城南面を撮影。上から本丸石垣と備中櫓(2004年復元)、二の丸石垣、三の丸石垣がひな壇上に並ぶ典型的な平山城の景観(標高は、本丸で約142m、麓の公園入口で約106m)。
津山城1101吉井川から.jpg
津山城は、吉井川と宮川の合流点を見おろす鶴山(つるやま)に、1603年に美作国を領した森忠政が1604年から築城を開始し1616年頃完成したとされる。明治になって建物は取り壊され土地も払い下げられたが、城跡保存運動により1900年に鶴山(かくざん)公園として保存されることとなり、1963年には国史跡に指定された。津山城(津山城跡鶴山公園)は入園料310円を払って入る方式で、通常期の出入口は三の丸南側の冠木門跡だけなのでここに戻ってくる必要がある(繁忙期には北側の裏門が開く)。
②三の丸冠木門跡。
津山城1105三の丸冠木門.jpg
冠木門跡を入り枡形虎口内を180度左折して石段を登って三の丸内に入り、北進して表中門跡から二の丸へ石段を登ることになる。
③三の丸虎口から二の丸虎口への流れを三の丸南側から撮影。三の丸・二の丸・本丸と続くひな壇状の石垣が美しい。これらの枡形虎口の特徴は、折れの複雑化と平山城ならではの高低差を生かした高石垣上からの攻撃で攻め手を寄せ付けない構造で防御力が格段に進化した形態といえる。

津山城1110三の丸南より.jpg
④二の丸表中門跡。画面右の石垣上へ続く長大な櫓門があった。門跡前に自販機を設置するのはどうかと思う。
津山城1116二の丸表中門跡.jpg
長い石段を登った後、90度左折してさらに石段を登り、90度左折して四足(よつあし)門跡から二の丸内に入る。
⑤二の丸四足門跡を二の丸内から撮影。四足門は薬医門で、廃城後、市内の中山神社の神門として移築され現存している。
津山城1120二の丸四足門跡.jpg
本丸南側石垣下を東進して、二の丸から本丸への第一関門の切手門跡へ。
⑥切手門跡。ここにも画面右の石垣上へ続く長大な櫓門があった。
津山城1127本丸切手門跡.jpg
喰違状の石段を登り本丸南東隅に突き出た小曲輪を左折して表鉄門跡へ。
⑦表鉄門跡。左右の石垣を跨ぐ長大な櫓門があった。
津山城1132本丸表鉄門跡.jpg
90度左折して石段を登り本丸内へ入る。本丸内を西進し備中櫓内部を見学した後、天守曲輪へ向かう。
⑧天守曲輪北東隅を天守台から撮影。本丸の西側を石塁と土塀で区切って天守曲輪とし、西側と北側には二重櫓、多聞櫓、櫓門を配置する厳重な構え。
津山城1148天守曲輪長櫓台・八番門跡.jpg
津山郷土博物館2階に展示している復元模型ではこんな感じ。
⑨復元模型の西面。中央部分が天守曲輪。
津山城1169復元模型西側.jpg
⑩月見櫓台石垣。本丸東側にそびえる高石垣の北端に月見櫓があった。現在、二の丸東側石垣の修復工事中(20227月末まで)のため、本丸の東側と北側は石垣置き場になっているようで立入できない。
津山城1152月見櫓跡.jpg
搦め手口の埋門跡から下りることにする。搦手側も連続する高低差のある枡形虎口となっており、見応えのある場所だが人通りが全くない。
⑪本丸埋門跡。埋門という名称だが櫓門だった。
津山城1153本丸埋門跡.jpg
石段を下りて左折すると裏鉄門跡へ。
⑫裏鉄門跡を外側から撮影。
津山城1154本丸裏鉄門跡.jpg
このあとは長い石段を下る。
⑬裏中門跡へ続く長い石段。右下に折れた所に石垣を跨いだ櫓門の裏中門があった。画面左は天守曲輪へ通じる帯曲輪。

津山城1155裏中門への下り.jpg
裏中門を出たところが二の丸の北側にあたる。西進して、裏下門跡から三の丸へ下りる。
⑭裏下門跡。手前の櫓台から右上方向に櫓門があった。
津山城1161裏下門跡.jpg
裏下門を出て、二の丸石垣に沿って二の丸南西隅を回り、冠木門跡から退城。このあと、津山郷土博物館2階で復元模型などを見て、津山線で帰路につく(1434分津山発→162分岡山着)。


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