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田丸城 2018.1.7 [三重県]

松阪駅15時8分発のJR(紀勢本線・参宮線)で田丸駅(無人駅)に15時30分着。城名と駅名は田丸だが、町名は1955年合併時に玉城(たまき)町となった。田丸城は、南北朝時代の1336年、北畠親房による築城が起源で、1575年に織田信長の次男信雄が入城し近世城郭化(堀を巡らし、石垣づくりの城に改造。三重天守を築いたと伝わる)したが、1580年火災により松ヶ島城へ移転。その後、城主となった田丸氏、稲葉氏の再建を経て1619年に紀州徳川家の支城となり明治維新を迎え、残っていた建物は処分された。

①大手門跡。田丸駅から北西方向に5分程歩くと外堀に到達、大手橋を渡ると大手門跡である。往時は枡形構造だったが、現在は直進道路となっている。

田丸城002大手.jpg

②二の門跡。左手に内堀のある坂の登り口が二の門跡である。二の門は伊勢市にある世義寺の山門(現存)に移築されたと伝わる。現在の登城路は、右(北西方向)に曲がる登り道だが、これは三の丸を整地して1963年に玉城中学校を開校した後の道路であり、往時は、直進(西方向)する登城道があった。

田丸城004二の門 (2).jpg

③富士見門。反時計回りの登城路を登って行くと左にカーブするあたりの右手に移築された富士見門がある。元々は三の丸にあったもの(現在は玉城中学校グランド下に埋まっている)だが、明治維新後、城下に移築・改築されたのを再移築したもの。

田丸城010富士見門.jpg

④本丸下帯曲輪への枡形虎口(出入口)。現在は玉城中学校となっている三の丸跡から本丸下帯曲輪へ上がるところに枡形虎口がある。枡形虎口・本丸下帯曲輪・本丸・天守台の石垣が重層的に重なる絶景撮影ポイントである。

田丸城014本丸虎口 (2).jpg

⑤北の丸方向。北の丸と本丸の間は空堀となっており、本丸下帯曲輪から北の丸虎口に入るルートとなっている。北の丸は、現在、城山稲荷神社が祀られている。

田丸城016北の丸方向.jpg

⑥本丸東枡形虎口。本丸下帯曲輪から本丸への出入口。

田丸城021本丸東虎口 (2).jpg

⑦天守台。本丸の北端にあり、内部は穴蔵となっている。天守台の階段は後世に造られたもので、石垣も積み直しされているようだ。なお、天守建物は1649年に風雨で崩落した。

田丸城031天守台.jpg

⑧本丸と二の丸を結ぶ土橋・虎口(本丸側から撮影)。土橋で本丸と二の丸が連結されている。

田丸城036本丸から二ノ丸方向.jpg

⑨二の丸南虎口(三の丸跡=現グランドから撮影)。三の丸から二の丸への出入口。

田丸城044二の丸東虎口.jpg

⑩三の丸奥書院。麓に下りて、大手門跡の北側に三の丸奥書院が移築されている。元々は紀州徳川家支配下の1677年に三の丸に造営された御殿の一部で、明治維新後に城外に移築されたものを再移築・復元したもの。

田丸城047旧三の丸御殿奥書院.jpg

移築された奥書院の隣に村上龍平記念館があり、そこに、田丸城址模型、続日本100名城スタンプなどがある(現在、土・日・祝日は休館日らしい)。田丸滞在1時間34分で田丸駅発17時4分の列車で帰路についた。

田丸城の特徴は、主要部の石垣残存状態が良いこと、北の丸・本丸・二の丸が南北に並列的に配置されており、北の丸は独立曲輪、三の丸→二の丸→本丸のルートと三の丸→本丸のルートが併存していること、本丸は総石垣だが、北の丸・二の丸は城下町側ではない西側は石垣がないこと、といったところ。


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