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竹生島 2023.6.5 [滋賀県]

梅雨の晴れ間の65日、豊臣大坂城の建物遺構が唯一残る竹生島を訪れることに。新幹線から米原駅経由で北陸本線長浜駅下車、長浜港から事前に予約していた竹生島クルーズ(長浜港からの往復航路)に乗り込みます。35分の航海で竹生島港に到着、滞在時間は90分とたっぷりあります。
①クルーズ船。
竹生島132クルーズ船.jpg
②竹生島南東面。
竹生島111近景.jpg
拝観チケット購入後、石段を上まで登り宝厳寺本堂(弁才天堂)、さらに登って三重塔と宝物殿、別の石段を下って、宝厳寺唐門(国宝)・観音堂(重要文化財)・船廊下(重要文化財)、都久夫須麻神社本殿(国宝)、龍神拝所を廻るのが定番散策コース。このうち、豊臣大坂城の遺構は唐門から。
③唐門・観音堂・船廊下の連なり。20132020年に檜皮屋根の全面葺き替え、彩色・漆塗りの塗り直し、及び飾り金具の鍍金メッキ仕上げを主な内容とした修理保存事業が行われました。
竹生島114唐門・観音堂.jpg
④唐門正面。修理保存事業により豪華絢爛な色彩がよみがえっています。
竹生島115唐門.jpg
唐門は、当時の日記や絵画から、もともとは豊臣大坂城の内堀北側に架かる極楽橋(廊下橋)の入口の門で、1600年に京都の豊国廟に移築されたのち、1602年に竹生島に移築されたと考えられています。観音堂は1603年には完成したと考えられていますが、永禄期の再建堂の改造か、移築か、新造か、はっきりしていないものの、移築の可能性が高いとされています。
⑤船廊下(渡廊)内側。
竹生島120船廊下.jpg
⑥船廊下(渡廊)外観。
竹生島124船廊下.jpg
船廊下は豊臣秀吉の御座船「日本丸」の舟櫓を利用して建てられたと伝わることから船廊下と呼ばれていますが、両端部に唐破風造りが残っていること等から唐門同様にもともとは豊臣大坂城の極楽橋の廊下橋だった可能性が指摘されています。
⑦都久夫須麻神社本殿。明治期の神仏分離令により宝厳寺本堂(弁才天堂)から神社本殿となりました。
竹生島129本殿.jpg
この建物は1567年(永禄10年)に再建されたもので、中央の身舎(もや)部分=入母屋屋根部分は1602年に移築され既存建物と組み合わされました。移築元は、古くは伏見城からといわれていましたが、現在は豊国廟からの移築、さらには豊臣大坂城の極楽橋の廊下橋の二階望楼(櫓)部分の移築の可能性が指摘されています。身舎部分は薄暗いので内部をじっくり鑑賞するのはちょっと難しいのが残念。

[メモ]本記事の解説内容は、宝厳寺ウェブサイト及び木村展子「建造物の変遷と現存建築」(竹生島奉賛会『竹生島』2017年所収)によりました。



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